ネパールデリバリー

『清く、正しく、美しく』がモットーのネパールデリバリーですっ!!民族楽器と独特のリズム感の音楽、ちょっとコミカルで憎めない映画、スターバックスに負けないCafeや、見慣れない品揃えのギョウザセンター、旅行のエッセンスになるローカル情報…など、人生を深く愉しむ文化と、アイテムをお届けします。

ユニクロ最終面接で華麗に落ちた話

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ユニクロ最終面接は3回の面接の後、

インターンで実店舗で2週間店長業務を経験し、

本社で行われた。

 

就活に対して嫌悪感、違和感を感じていて

脳みそ停止状態の当時の俺は

当たり前のように不合格

ユニクロさようなら。

 

学部時代の就職活動はどんな感じだったか

学部3年生の時のこと

みんなが就活しているから

就活しなきゃという強迫観念というか

漂っている雰囲気、空気に流されて就活を始めた

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当時の僕は何で就活しないといけないのか

ということについて深く考えていなかった。

ただ、就活することに対しての直感的な嫌な感じだけがあった。

深く考える能力が欠落していたと言ったほうが正しいのかなと思う。

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日本の教育のレールの上をそのまま何も考えずに進んで来て

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考える能力をうまいこと低下させられていたように思う。

とにかく考えないほうがこの国では「うまく」いった。

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就活するっていってもどこの会社を受けるのか?

自分が会社で働くイメージがわかない。

何をしたいのかもわからない。

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マイナビが作った就活対策本の性格判断をしてみるが

いまいちピンとこない。

 

 

商社がモテそうだし稼げそうだなー

 

華々しい商社がかっこいいから

そこらへんを受けようかなと

ESを作った。

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特に理由もない、

自分の能力もない、

入って具体的にやりたいことなんてない

そんな状況でESを書いていたのだから

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今から考えると本当にふざけた学生だったと思う。

 

SPIという気持ち悪い試験

序盤、SPIを受けてそれを企業に送ると

だいたい全部落ちた。

単純に点数が低かったんだと思う。

 

勉強なんてほとんどしていなかった。

やる気もないのに、勉強のモチベーションなんて上がらない。

試験内容自体は

事務作業のオンパレードでクソつまらない。

よくも就活生はあんなテストのために

貴重な人生を費やすのだろう。

しかも電車代払って、

わかりにくい試験会場をググって探していくんだ。

 

さらにろくに勉強していない俺は

低い点を叩き出すためにお金と時間をかけていた。

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今考えると寒気がする。

 

さっとSPIの対策本を読んでテストを受け直しにいった

それからSPIで落とされることはなかったので、

最低限の点数は取り直せたんじゃないかと思う。

 

ユニクロを受けることを思いつく

ユニクロは山口を本社に置いている。

山口出身の自分にとってはそれだけが受験理由だった。

世界的に展開している大企業の社長が

山口県出身っていうだけで県民としては誇りだった。

 

ユニクロの就活は

スイスイ進んでいった。

本社での説明会や面接などを受けた。

特に志望理由もない学生を受からせたのか不思議だ。

面接官には

「私は山口出身なんですよ、何か力になりたくて」

といつもいっていた。

また、就活が進んでいくうちにユニクロを選んだ理由を後発的に付け加えていく、というか、選んだ自分を正当化していく作業が頭の中で進んでいるような感じがした。

 

途中にGU(ジーユー)の説明会にも出たことで、

ユニクロが世界でどう戦って、どう負けたり勝ったりしたのか

というのも理解ができた。

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世界と日本の価値観、またアジアなどの貧困国との経済状態の違いで戦略が通じなくて苦戦したらしく、今後日本より経済的に「貧しい」エリアへの進出のために、より価格帯の低い商品展開のGUという弟的ブランドが誕生したということを知った。

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アジアや新興国をせめていくにはゲリラ的な手法

GUという飛び道具で責めていくしかないということに至ったようだ。

山口県というど田舎の企業が世界という舞台でどう戦っているのかというのを知れて、個人的に伝記を読んでいるようでかなり面白かった。

 

 

インターンシップ開始

実店舗で2週間、店長と一緒に動いて

店長業務を一緒に行う。

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インターンというより、ほとんどバイトに近かった。

業務内容は実店舗の店長業務の一部をさせてもらって、

ディスカッションしたり、店長に質問したりする。

実際にバイト代も出たのでバイトでしかなかった。

同期も7,8人いて友達もできた。

 

インターンシップ自体は雑用をしていただけだったが

実際に働いている店長から苦労話を聞くのが面白かった。

昼飯を店長と一緒に食べながら、店長の口から漏れる言葉はリアルだった。

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かなりオブラートには包まれてはいたが、

ブラックっぽいなーとも思った。

 

 

ユニクロは実力主義で給料も変動制だが

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できない奴は社畜になるか

切られていくんだろうなと思った。

しかし、努力して結果を出して認められれば逆もある。

アメリカっぽくていいなと思った。

 

実際、インターンでの仕事量は手加減していたとは思うし、

日地上の業務とはある程度異なるのだろうけど

店長は死ぬほど業務に追われていた。

服畳んだり、売れ残りをラッピングして売り場作ったり、

人事したり、本部と連絡とったり…

THE地味な仕事のオンパレードだった。

 

ユニクロのキャリア的には、

最短6ヶ月で試験に合格すれば店長になれるのだが

才能も努力も人一倍必要だなと思った。

人事は当たり前のように6ヶ月で店長になれる

むしろなるのが普通です、みたいなことを言っていたが

実際はかなり難しいなと思った。

半分くらいの人が落ちてるんじゃないかなという印象。

 

実務をこなしながら

膨大な量の辞書みたいな

社訓的なテキストブックを丸暗記させられる。

時間を無駄にして、クリエイティブさを無くさせる

鬼畜なテストだなーと思った。

 

いよいよ最終面接の場へ

面接の場に行ったのはいいが

特にユニクロで働きたいという理由が見つからないまま

丸腰状態だった。

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アホみたいな話だけれど、

受かってから考えろよって話かも知れないかも知れないけれど

就活自体よく理解できていなかったので

嘘をついてまで目をキラキラさせて

「この会社で働きたいんです」

というような世渡り上手なことはできなかった。

 

「このユニクロであなたは何がしたいですか?」

試験官のこの質問にこう答えた。

「6ヶ月で店長に昇格して、

ユニクロが持っている販売のノウハウを全部吸収したいです。

そして数年したら辞めて自分で商売したいです。」

 

今考えてもゾッとするがそう答えたのだ。

試験官は

「どんなことしたいかとかある?」

と聞いてくれたので

「私はアメフトをしています。

関東にもアメフトプレイヤーが学生、社会人で数多くいます。

しかし、アメフトショップは渋谷に1店舗しかないんです。

独占状態です。だから自分で新しい店を作って、販売だけではなく

選手が高いパフォーマンスが出せるような

きめ細かいサービスができるようにしたいです。

だからこのユニクロでそれができるように経験を積みたいんです。」

 

よく言ったよなと思う。怖いもの知らずで、アホだったなと。

 

 

 

 

無論落ちた。

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ちなみに、

インターンで仲良くなった韓国人はあっさり受かっていた。

彼は数社から内定をすでにもらっていたので他社に行った。

彼とは今でも飲みにいく友達だ。

 

 

友達をありがとうユニクロ。

 

追記;

今考えると、学部時代アメフトとバイトだけに力を入れていたのであのまま社会に出てもしょうがない状態だったなと思う。ユニクロに落ちたことで、就活自体をやめて1年間自由に暮らそうという考えになり、その時間で東大大学院を受験し、徐々にだが自分の心の中のタネが目を出し始めて、少しずつ形になって行った。今こうしてネパールで活動していられるのも、全てのことがあってからのことだと痛感している。この記事の文章を読んで見て、社会的には本当にダメな大学生だったなと思うし、ネット上によくこんな稚拙な文章を載せているなと思うが、正直に社会に迎合することへの違和感を曲がりなりにも守ったことに関しては、当時のアホな自分を褒めてあげたい。また、こんな大学時代、就活を送って欲しくないと思い反面教師にしてくだされば幸いです。小さな時から人間の中を回遊魚のように、止まることなく泳ぎ続けてきたような自分に、社会に対して自分を表現していくというのは不可能に近かったように思う。タイミングは全然あの時きていなかったんだと思う。迷惑ばかりかけてきたけど、全ての人に感謝しないといけないなとつくづく思う。今ネパールにいることが不思議でしょうがない。